趣里はバレリーナ志望だったってほんと?なぜバレエを辞めて女優になったのか真相を探ってみた。

2023年から放映される予定の朝ドラ『ブギウギ』のヒロインを務める趣里さん。

趣里さんは最初はバレリーナ志望だったそうです。

今回は趣里さんがなぜバレエを辞めて女優の道に進んだのかそのきっかけ、原因などの真相を探ってみました。

どうぞ最後までごらんください。

趣里さんのバレエ歴

画像引用:松浦景子のけっけちゃんねるより

趣里さんは4才の頃にお友達になんとなく誘われて東京世田谷区の有名な「井上バレエ団クラシックバレエを始めました。

6才にはバレリーナとして初舞台を踏みますが、なんとそれが突然『カルメン』でした!

6才にしては大胆ですね。

画像引用:松浦景子のけっけちゃんねるより

小学校5年生の時は、『くるみ割り人形』で主役のクララを演じるほどに成長しました。

趣里さんはインターナショナルスクール1年生の時に、イギリスのARTS EDUCATIONAL SCHOOLにバレエ留学を試みます。

このARTS EDUCATIONAL SCHOOLは『オペラ座の怪人』な作曲家、作曲家、男爵アンドリュー=ロイド・ウェバーを代表とする伝統のある演劇学校で、『サウンドオブミュージック』のジュリー・アンドリュースを始め、多数の有名なアーティストを生み出しました。

入学するにはオーデションに合格しないといけませんので、趣里さんのバレエの才能、実績はかなりのものだったと思われます。

趣里さんがバレエを辞めた理由

単身でイギリスにバレエ留学を挑んだ趣里さんは、午前は授業を受け、午後はバレエのレッスンに集中します。

しかし、17才の時に足首の剥離骨折、アキレス腱断裂というバレリーナとして最悪のけがを負ってしまいました。

今までの様にはもう踊れないだろう」という医師の言葉に、趣里さんは絶望に追いやられます。

悩んだ挙句、バレリーナの夢はあきらめることにしました。

一体、どうしたらいいんだろう? ほかの人はどうしているのだろう?

高校卒業して、大学に進学そうして就職。。

取り合えず、趣里さんは帰国して、高校卒業認定試験に合格し、日本大学芸術学部に進学するという選択を取りました。

趣里さんが女優の道を選んだ理由

ほかの同年代の人たちの様に、大学に進学したものの、4才からバレエ一筋だった趣里さんにとっては、新しい人生の調節は難しいことだったことでしょう。

それでも、ポジティブな趣里さんは新しいことが学べる環境は楽しかったようで、特に心理学に興味を持ち始めました。

しかし、バレエの様に没頭できるものは見つかりませんでした。

趣里さん

趣里さん

私は怪我のためにバレエを諦めた、失意の日々を送る中で劇場に行くことで、地獄のような日常から離れ、舞台から活力をもらって劇場を出ると、街が少しだけ違う景色に見える。

引用:新国立劇場バレエ団スペシャル対談

4才からバレエという芸術で感情を表現してきた趣里さんは、大学在学中に「演劇」も同じような表現が舞台でできると気づき、俳優の塩野俊さんが主宰する「アクターズクリニック」でレッスンを受けてみました。

趣里さん

趣里さん

バレエを通して知った、仲間と一つの舞台を作っていくことの喜び、それをもう一度味わいたくて、俳優という表現の道を目指しました。

引用:新国立劇場バレエ団スペシャル対談

俳優の水谷豊さんそして元キャンディーズの伊藤蘭さんを両親に持つ趣里さんにとっては、俳優の道に進むのは当然のことのように思うかもしれません。

しかし、趣里さんはご両親の名前を公開せずにオーディションを受け、事務所にも「趣里」として登録し、自力で演技の道を歩みました。

その努力も実り、2018年の主演映画『生きてるだけで、愛』では日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞され、ますます俳優として成長を続けていらっしゃいます。

趣里がなぜバレエを辞めて女優になったのか?真相を探ってみた。・まとめ

今回は本年度後期の朝ドラ『ブギウギ』のヒロインに選ばれた女優の趣里さんについて、元バレリーナ志望だったのになぜバレエを辞めて女優になったのか、その理由を探ってみました。

趣里さんの今後の益々のご活躍とご成功を心からお祈り申し上げます。

最後までご覧いただきありがとうございました。

趣里さんのプロフィール

芸名:趣里(しゅり)

本名:水谷趣里(みずたに しゅり)

生年月日:1990年9月21日

出身地:東京都調布市

身長:158㎝

血液型:O 型

事務所:トップコート

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